漫画「左ききのエレン」感想
漫画の「左ききのエレン」を読んだ。
この作品には原作者が描いた原作版と呼ばれるバージョンと、nifuni氏が作画したジャンプ+版(リメイク版)があるんだけど自分が読んだのはリメイク版の方。
とりあえず全体を通してはお仕事系エンタメ漫画としてかなり面白かった。とはいえちょっと引っかかるところもいろいろあるのは確かではある。
タイトルは「左ききのエレン」とあるが、この物語の主人公は基本的にはエレンではない。時系列とカメラが行ったり来たりする群像劇という感じなのでなんともいえないけど、中心となるのは朝倉光一というキャラクターだった。
朝倉光一はそれなりに優秀で努力家ではあるけど、どこか底が浅いというかこだわりがないというか他人にすぐ影響を受けて流されるような少なくとも天才ではない人物として描かれる。エレンについては絵の天才ではあるけど天才性ゆえに社会とうまく馴染めないような人物で、対称的な感じではある。
本作は「天才に脳を焼かれた秀才」である朝倉光一と、エレンなどの天才だけどどこか浮世離れした人々を対比しながら描く物語だ。
正直広告代理店で働く朝倉光一だけをスポットしてもある意味では漫画として成立するとは思うけれど、「天才」と「その他」という対比が骨子としてある感じだ。
しかしなんというか単純化すると「アーティストに憧れながらも身の程を自覚しきれず日々の仕事をする広告代理店のデザイナーのお仕事漫画」という感じではある。それをだいぶ誇張すると「天才になれなかった全ての人へ」みたいなキャッチコピーになるのだろう。
正直言うと朝倉光一はそれなりに秀才だし努力家で優しい人というキャラクター設定ではあるものの、天才枠のキャラクターたちがなんやかんや光一のことを気に入ったり遠く離れても気にしつづける理由は正直よくわからなくご都合主義的だなという感じではある。それなりに人に好かれそうなのはわかるが、少なくとも天才たちがこぞって気にするような存在ではどう見てもない。
広告代理店のお仕事漫画としてでも成立するが、物語的なフックをつくるために存在する舞台装置としての天才たちという違和感は正直あった。天才達→朝倉光一っていう矢印はなかったほうが自然ではありそう(エンタメとしてはクソ面白くなくなるだろうけど)
あと天才枠ではないものの、20代後半ぐらいになると会社組織としては朝倉光一はわりと評価される立場として描かれる。「換えの効く有能」みたいな描写ではあるけど。まあその時点ではパワハラでボロボロなので自己肯定感が低くなるのは仕方ないかもだけど、別に無能というわけではない。
というところで俯瞰して見ると上位1%ぐらいの優秀な人たちが上位0.01%の天才になれないんだと悔しがるというなんともグロテスクな話でもある。
アーティストを描く漫画としてはブルーピリオドとかもあるけど、あっちと違って本作は天才の表現について具体的な描写は直接的なものはほぼない。「目がいい」とか「圧」とか「周囲の人達が崇拝する」とかそういう抽象的な能力というか外周というか輪郭だけで描く感じだ。
まああんまり具体的に描いてしまうと逆に説得力というか神秘性がなくなってしまうので表現としては仕方ないところはあるけど、そのせいで天才サイドがキャラが強くて社会性のない周囲を振り回す人たち(だけど能力があるので許されている)みたいな描写に傾いててあんまり好感は持てない感じはある。
「天才に憧れる」というフレームには共感するものの、このキャラたちに憧れるのはちょっとどうなんだ?と冷静に考えると思うところはある。
ただ物語を通して、自分の中の「天才への憧れとそれにはなれない自分」みたいな心象を喚起させるのが巧みだなという感じだった。細かいところを気にする感じではないのかもしれない。