環世界という考え方

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環世界(Umwelt)という考え方を最近読んだ國分功一郎氏の「暇と退屈の倫理学」という本の中の引用で知った。

環世界は、ドイツの生物学者・哲学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)という方が提唱した概念で

生物はそれぞれ、自分の感覚器官と神経系によって知覚できる「記号」だけで構成された、固有の知覚世界の中に生きている

という考え方らしい。

ユクスキュル氏は生物学者なので、マダニの生態から環世界を説明している。ざっくり要約すると以下のような話とのこと。

マダニの環世界は、ほぼ3つの記号しか含んでいない。

  1. 光(枝の先に登る)
  2. 酪酸の匂い(哺乳類の皮膚脂腺が出す匂い→落下する)
  3. 体温(血を吸う)

マダニにとって「世界」とはこの3つの記号だけで構成されており、それ以外の出来事(音楽、色彩、人間の感情など)はいっさい存在しない。同じ空間にいても、マダニと人間はまったく異なる世界を生きている

他にも人間は環世界を移動できる能力が高いなどの話もあったが長くなるのでここでは省略する。

環世界という考え方を知って、昨今よく言われる多様性の文脈での「みんなそれぞれ違う価値観がある」みたいな人間の価値観をベースとした説明より主体が異なっているという感覚がしっくりくる考え方だなと感心した。

人間の価値観という人間本位の考え方以前に、ダニなどの人間以外の生物にとってもそれぞれの「環世界」があり、そのうえでそれぞれの主体と知覚が存在するという世界観のほうが自然だなと。

なんとなく自分や他者をとりまく環境への認知としての「世界」は一つの絶対的で共有されたものであるような認識があったが、「世界」自体も各人が持つ「環世界」という個別で主体的なものとして捉えていいのだという気づきがあった。「価値観の違い」だけでは不十分だなと以前よりなんとなくぼんやり知覚していた概念をちゃんと整理した用語が付いたのは嬉しい。

ちょっと最近は多様化する中での道徳的に善とはなにかとか、アートにおける美の個別化とか、「一般的に善いもの」から「私にとっての善いもの」というシフトが起きているけど、まずは価値観ではなくもっと大きい枠の世界自体もそれぞれの主体によって異なるんだよという環世界の考え方をベースにしてもいいのかなと思った(あんまりまとまっていないのでこの辺にする)