抽象表現主義について最近考えていること

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岡本太郎さんの著作から派生して、最近現代アートについての本をいろいろと読んでいる。現代アートといっても色々とあるが、デュシャンからのコンセプチュアル・アートというよりは、ジャクソン・ポロックとかワシリー・カンディンスキーとかの抽象表現主義についてあたりを考えている。

歴史的には抽象表現主義は1920年~50年代あたりが主な盛り上がりで、その後60年代ぐらいからはまた具象に寄った表現に戻っていったらしい(ネオダダやポップアートなど)ので、現代アートで例として出てくるがあんまり近年というわけではない感じではある。

個人的にはピート・モンドリアンの「赤・青・黄のコンポジション」みたいな絵が好きだけど、あれは画集とかで時系列でみるとどうも木の枝分かれをどんどん抽象化していった結果のような感じもあるしポロックとかのアクション・ペインティングでの無意識を表現とかカンディンスキーの数学的な美みたいな具象を排除した純粋抽象な方向とはまた違う感じはある。

まあとにかく具象を描かないというか、観る側が具象からのコンテキストの想起にこだわりすぎないみたいなアプローチ事態に良さを感じているというところだ。特にモンドリアンみたいなシンプルかつ抽象的でかつ視覚的に美しいというのが特に好きな気がする。

抽象表現主義が流行った当時は絵画のはなしだったからあれだが、視覚表現がデジタルがあたりまえな現在はどうも「情報量の多さ≒いいもの」みたいな一般の価値観がある印象はある。

近年はSNSの影響で「インプレッションがたくさん集まるものがいいもの」みたいになってたときもあり、なんかイラストレーターはSNSウケがいい二次創作イラストを描けとかバズる漫画を描けとかどうにも手段の目的化というか創作がつまらないものに貶めてしまっている気がしてならない。

岡本太郎さんなどが「芸術は民衆のもの」「生活のすべてが芸術」みたいな思想を伝えていたらしいが、なんだかデジタル・SNS時代でまた芸術は職業人のためのものみたいになってきているみたいで居心地の悪さがある。

もちろんプロが作っていて売れているものはそれはそれでいいものが多いのはそうなんだけども、それは「技術的に優れている」「創作にリソースが十分に使われている」もののであっても「私にとっていいものか、よくないものか」はまた別だよなというところである。そういうところは職業人の作った絵の信仰というか西洋絵画の歴史をまた繰り返しているような印象はある。

というところで話は戻って抽象を考えている。

最近はAIが出てきたのもあり、また「技術」というところの価値が転換してきている状況になっている気はする。特にデジタルイラストというところで顕著で、これまで再現性がなかった技術と時間が必要だったデジタルイラストが数分以内に生成されてしまうようになってしまった。

著作権の議論とかAI Slopの問題とかは一旦置いておくとして、デジタルイラストがある程度再現性のある技術になってしまったというところは認めないといけないだろう。絵画が写真の登場により価値の再定義をしないといけないようになったようなことがまた起きているともいえる(なんなら写真や動画だって危うい存在だ)

職業としてやっているたちはともかくとして、一般市民の芸術としてはまた抽象というところに戻ってもいいんじゃないかなと考えている。もっと一本の線とか点とかそういうのでいいんじゃないかというところだ。

「技術がある=いいもの」という観点だとそりゃプロに敵うわけがないのは当然であるし、その当たり前があるなかで「私はプロみたいに綺麗に描けない」と嘆いても仕方がないところではある。その道のプロになりたいなら別だが、そうでないならそもそも考え方を変える必要がある。

別に大衆にウケなくてもいいじゃないか、というところをよく意識しないとといけない気がする。

まあとはいえ自分もよくわかってないところではある。というか個人的に人生で反省しているのが、視覚表現というところをずっと真面目に取り合ってなかったというところだ。なんなら興味がないと思っていた。

情報として映画とか漫画とかは読んで摂取してはいたが、あんまり視覚表現についての分析とかはまじめにしていなかった。していても「機能的であること」とかを重視していてあんまりそれ以外のこだわりがなかった。

ちょっといろいろ経験を積んできて「機能的であること」はそれはそれで重要だけど、そればっかりでは面白くないなと思い始めた。機能的なものはなんだかシステマチックで心が動かないなと。

というところで最近はスケッチブックにラクガキしたり、映画をみて感想を書いたりしている。自分の視覚的な価値観にちゃんと向き合おうという試みだ。

なにかこうクリエイター的な結果につなげたいというよりはもっと感性を自由にしたいという感じだ。いまのところは楽しくやれている。