コミュニケーションに時間を使いすぎると自己肯定感が下がる
定期的に人と交流するのを増やしてみる試みして思うのだが、人とのコミュニケーションは楽しい一方で自己肯定感が下がるように感じる。
これは自分が「内向的なタイプの人間」だからみたいに考えたほうがいいのかはよくわからない。一人の時間は自己決定・自己裁量で行動できるのでコントロールができるけど、他者と過ごす場合はそれを手放さないといけないからなのかもしれない。
いつも思うけど人と行動すると自分にはどうしようもできない待ちの時間がかなり多い。待ち合わせもそうだし、会話にしても相手の話を聞く時間があるし、複数人で話をしている場合は内容がわからない話をただ音として聞き流している時間もある。効率とか非効率とかそういう話をするとちょっと人としてどうかという感じはあるけど、このコントロールできない時間を許容するというかそれも楽しめる人が社交的な人というタイプになるのかもしれない。
一般的に「友達が多い(普通の)人」とされている人は人となにかをするための前提として本当にマメに人と連絡を取っているなと思う。LINEみたいな連絡アプリやら各種SNSやらかなりの時間的コストを人と会うための前段として行っているし、なんなら一日のほとんどの時間をそれに使っている人もいる。えらすぎると同時に大変すぎると思う。
一時期自分もそれを真似しようとしたけど、本当に神経をすり減らしたうえに別にそこまでして人と会ってもその時間に見合うほど楽しめないことが理解できたのでやめてしまった。というか情報としての中身のほとんどないケアのような応答に時間を使うのが苦痛過ぎた。つながりを維持するためだけの儀礼的な連絡は古代からあるとは思うけど、現代のテクノロジーはあまりにも即応すぎる。
テクノロジーは人類を物質的には豊かにしたかもしれないけど、ことコミュニケーションに関しては逆な感じもしなくはない。内向的な人にも外交的な人にもちょうどいい塩梅を保つのを難しくしている。
最近はSNSを見る時間を意識的に減らすようにはしている。承認欲求があるからSNSをするのではなく、SNSをするから承認欲求が生まれるとわかったからだ。テクノロジーによって欲求が喚起されている。
SNSから離れて本を読んだり、映画を見たり、ジムで運動したりとできるだけ一人で完結する時間を取るようにするとかなり精神的に安定するし自己肯定感が上がる。「上がる」というか「下がらない」というほうが正しいかも。
どうしてもSNSとか人と話したりとかをすると自分と相対的になにかと対峙してしまう感じがある。とくにSNSとか現代的なマーケティングをされたサービスだとなんでも数値化して比較してきて欲望を喚起してくる感じがある。テクノロジーに欲望をハックされている。
人と話すのはそこまでではないにしても、この人と仲良くなるためには○○をしなければならない、みたいな感じで行動にバイアスがかけられる感じがどうしてもある。人間は所属している集団に染まるみたいな話は聞くけど、集団に属するというのは人間関係という利益獲得のために行動を規定されるということでもあるような。どうにも長期的な人間関係の構築が苦手なのは他人とか集団にコントロールされたくないという自分の特性がある気がする。
なので朝の星座占いとかも嫌いだ。当たる当たらないはどうでもいいんだけど、それにより自分の意思決定によけいなバイアスがかかるのが嫌なのだ。
あとはよくないんだけど「自分は人生を楽しんでいる」と他人にアピールするために交流している感じがして嫌だ。自分の人生が楽しいかすらSNSのインプレッションがいいかどうかによって決めてくれないと実感できないようになってしまったら終わりな感じがする。
自分の思考を自分主体に取り戻さないといけない。感情に振り回されるのも不都合だが、あまりにも客観思考につかりすぎるのもよくない感じがある。